“木のまち” 鹿沼
 江戸時代より、麻や木綿・木材などの取り引きが盛んとなり、近郊では商品流通の中心地となった栃木県鹿沼市は、豊かな森林資源を背景に“木工のまち”として現代にも受け継がれております。
 また毎年10月に、今宮神社の例大祭として行なわれている鹿沼秋祭りでは、国の指定文化財ともなる日光東照宮の造営にゆかりのある彫師たちの手によるとされている二十数台の彫刻屋台が引き廻されます。1999年から本年まで5年間にわたり若衆頭を務めた四代目・知棟梁は、生まれ育った下材木町の【彩色彫刻漆塗屋台】を指揮し、古くからのしきたりをお祭りでも次世代に引き継いでおります。

2003年 鹿沼秋祭り
 

このような歴史文化をもつ鹿沼市に、明治後期 初代棟梁 大島幸吉により大島工務店は創業しました。

 

 初代棟梁  大島 幸吉(祖父)

 祖母からの話になりますが、幸吉棟梁は栃木県鹿沼市立北小学校の建設に携わった一人だそうです。鹿沼市のほとんどの大工さんが手掛けられたそうですが、当時はむろん機械などない時代でしたから、早さと技の競い合いだったそうです。
今でも、北小学校は当時の木造校舎のまま、少しづつ手を加えられながら、幸吉棟梁達の功績は現代にも残されています。
そんな幸吉棟梁は、いち早く当時ではめずらしい自転車を購入し、毎日現場へと出かけられていたそうです。なかなかハイカラな幸吉棟梁だったそうです。


棟梁おくり

 

 二代目棟梁  大島 満(父)

 私の父でもある、二代目 満棟梁は、初代棟梁の意志を受け継ぎ年季を込め、二十歳で二代目棟梁となりました。二代目棟梁も技術はもとより、お酒が大好きで上棟式の日には“木やり”を唄いながら帰ってきた事を、子供ながらに覚えています。また、その頃の弟子たちは二代目の家に住み込みながら、仕事を覚えていったのです。

 

 

 三代目棟梁  大島 周次郎(叔父)

 三代目周次郎棟梁は、二代目棟梁に厳しい修行を受け二代目の右腕として技術を発揮しておりました。
三代目棟梁は、細かな大工仕事を器用にこなす技を持っていたのですが、弟子たちには決して教える事はなく、“匠の技は見て覚えろ”とフロシキで隠してしまうほどの頑固な三代目でした。


匠の技

寺院上棟式風景

 四代目棟梁  大島 知

 幼い頃から職人さんの中で育ってきた私は、高校を卒業後、その頃では珍しくなっていた丁稚奉公(でっちぼうこう)を経て二十四歳で四代目となりました。
しかし当時の仕事は、新建材を大量に使う建物が多く職人さんの腕をいかせる仕事が少ない時代でした。
現在、先代たちが築きあげてきた昔ながらの家づくりや自然の材料が見直され、ようやく先代達の魂を後世に残していける家づくりができる時がきました。
素材の事、造り方、そして何より住み手側の生活の事をわかっている地域工務店ならではの、経験と信頼関係で住まい手と共につくる大島工務店の家を見ていただきたいと思います。

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